家紋の秘密!豊臣家300年越しの復讐劇
ジミー小西です!!
皆さんは好きな家紋ありますか?
理由はなんとなくです…笑
今回はそんな家紋にまつわる都市伝説です!!
これも、やりすぎでやっていた有名な話ですね…
日本で一番高貴とされている家紋と言えば皇室で使われている「菊の紋」
菊の紋と言えば日本を代表する家紋といって差し支えないですし、日本のパスポートにも描かれていてます
桐の紋の真実
「桐の紋」も菊の紋と負けず劣らず位の高い紋とされていて必ず日本人なら見ている紋になります
ちなみに、この紋どこかで見た事ありませんか?
実は戦国武将豊臣秀吉が使っていた紋でもあります
この紋の位が高い理由として、「歴史上初めて武将の中で唯一天皇家から頂いた紋」だからなのです…
では実際どこでこの桐紋が使われているかどうかです…
実は何を隠そう、
内閣総理大臣が公式発表などでテレビに映る際は必ずこの紋が使われています!!
500円玉にもこの桐紋が使われています!
日本人にはとても馴染み深い「紋」として、いまなお存在してます!!
おかしな話だと思いませんか?
明治維新の陰謀!豊臣の300年に渡る復讐劇
明治維新が起こり徳川幕府が解体され新政府になりましたが、その2つ前に主流だった豊臣秀吉の家紋を使うようになったのか不思議に思いませんか?
現在の日本政府は明治政府からの流れなんですが、明治政府はどういった人たちで形成されてたかとい所を見てみましょう!
薩摩と長州なんです…
初代総理大臣の伊藤博文は長州出身
薩摩と長州の人達ってどうゆう人かというと、関ヶ原の戦いまで遡ります!
そもそもは関ヶ原の戦いで徳川軍と豊臣軍の戦いで徳川が勝利したから江戸幕府が始まったわけです。
負けた豊臣軍を率いていた石田三成は、一体どんな人達を率いていたのか?
そう、薩摩(鹿児島の島津)と、長州(山口県の毛利)なのです!!
時代は江戸幕府の話となりましたが、薩摩と長州の豊臣軍にいた家臣たちの恨みは消えてなく、
「明治維新は豊臣の300年越しの復讐」ともいわれています…
見事に、薩摩と長州は、徳川幕府を解体することができ、明治維新によって新政府が発足されました!
その時の、新しいマークこそが豊臣の紋!!
すなわち桐紋です
この桐紋は菊紋に次ぐ位の高い紋として現代の日本象徴として扱われているという事は、実に秀吉の300年越しの復讐が実ったと言っても過言ではありませんね…
それでは!!